風の子幼児園が創られるまで

今から40年ほど前から、日本は経済の高度成長期を迎えます。それまで私たちを支えてきた農業、漁業が減少しはじめ、それを支えてきた商店や町工場も衰退をはじめます。子どもたちの育つ環境も大きく変わり始め、人口は都市に集まり家族は核家族化していきます。お茶の間にテレビが現れ、便利なものがあふれはじめます。

子どもの世界も変わりました

子どもたちの周りから、自然が遠ざかりました。どこにも見られたガキ大将が姿を消し、遊びも変わっていきました。厳しい自然が身近にあるときには、生活のにおいがあふれ、厳しくも温もりの家族がそこここにありました。子どもたちは家族の歯車の中大切にされ、たくましく育っていきました。街のあちこちに子どもたちだけの群れて遊ぶ姿が見られ、そこはわくわく・ドキドキする魅力的な世界がありました。

学校も変わりました

学暦偏重が生まれ、学校に学力重視の能力別クラスが誕生します。そのころから不登校の問題が社会問題になってきました。

風の子幼児園のはじまり

創立は1985年です。風の子幼児園は昭和区前山町に一軒の民家を借りて始まりました。翌年、昭和区宮東町に移転、毎日、八事裏山に出かけました。当時、八事裏山にはシラタマホシクサ・ヒメコウボネなどの貴重な植物やトウカイサンショウウオの生息する湿地が残っていました。(現在でも一部は残っています)子どもたちは新しい場所を見つけてはニンゲンジゴクとか第一の国・第二の国・第三の国と名前を付けては自分たちの世界を拡げ、森を探検し、冒険を重ねました。そこにテントを張り、キャンプをしました。土と緑と太陽の下、体の内にある悟性を目覚めさせよう、大地に眠り、森のうたを聞こうと日本版森の幼稚園のさきがけでした。1985年は国際児童年だったこともあり多くの新聞やテレビで紹介されました。当時の名古屋市の広報に子どもたちが付けたニンゲンジゴクがそのままの名前で紹介されていました。